NSC 2013 10 26

 日本経済新聞Web刊のニュースでは、
「外交・安全保障政策の新たな司令塔となる、
国家安全保障会議(日本版NSC)を設置するための関連法案が25日、
衆院本会議で審議入りした」とあります。
 日本の安全保障は、「牛の歩み」、
いや「亀の歩み」のように遅いのです。
 私は、2010年6月13日に「首相の条件」という文章の中で、
「今や、日本の首相も、アメリカ大統領並みに、
安全保障の見識が要求されるようになったのです」と書きました。
 あれから3年。
やっと国会の審議入りでは、
激変する国際情勢と比較すると、
日本の政治は、怠慢以外の何ものでもありません。
「井の中の蛙、大海を知らず」と言われても、文句は言えないでしょう。

首相の条件 2010 6 13

わずか十数年で首相の条件は大きく変わってしまったのです。

「地上の楽園」と喧伝された北朝鮮は、ミサイル大国に、
「人海戦術が攻撃手段」と言われた中国は、米軍並みのハイテク装備に、
「映画の世界だ」と思っていたのに、よもや現代に、海賊が出没。
「永遠の繁栄が続く」と思われた現代のローマ帝国も、落日が忍び寄る。
「日が沈まぬ帝国」と言われた大英帝国も、人々の記憶の中にある。
「日が暮れるのは早い」とキリストの日記には記されているのか。

 一昔前ならば、日本の首相は、何も知らなくても務まったのです。
戦後、長らく、
「日本は商売に専念し、安全保障はアメリカに丸投げ」という状態が、
続いてきたのです。
 多くの日本人どころか、政治家までも、
国防や安全保障には思考停止の状態になっていても、それでも暮らせたのです。
 だから、「非武装中立」という非現実な概念が、
時代の流行語になったこともあったのです。
 なにしろ、「地上の楽園」に、「人海戦術」に、「映画の中の海賊」、
そして、「現代のローマ帝国」だったからです。
これなら、非武装中立も「現実的」だったかもしれません。
 しかし、今や、日本の首相も、アメリカ大統領並みに、
安全保障の見識が要求されるようになったのです。
(注)
 数十年前、左翼や左派の学者や評論家が、
北朝鮮を「地上の楽園」と喧伝していました。

































































トップページへ戻る